あいすまんじゅうを食す。 pic.twitter.com/1B1juEYvCY
— りょう (@ogataryo) 2014, 9月 20
↑珍しく食べる前の写真を撮ったので、その記念(注:この記事は食レポではありません)
こんばんは、りょうです。
今日は、冒頭のツイートから食レポと思わせておいて、全然違う話をしますね。
傾向として、最近多いのかもしれませんが、私のママ友さんの中には、精神疾患を抱える人が何人かいます。
打ち明けられてビックリすることもあるし、「ああ、やっぱりそうだったのか」って思うこともあります。
精神疾患に関しては、私自身、「これはうつ病なんじゃないか」と真剣に悩み、それについてネットで検索したり、精神科の病院の電話番号をお守り代わりに控えていたりした時期があるくらいなので、全く偏見などはありません。
・・・ないつもりです。
そんなママ友の一人から、あるとき旦那さんとの仲のことでの悩み相談の電話をもらいました。
彼女はすごく悩んでいて、落ち込んでいました。
その時は後に予定が控えていてじっくり話せなかったのですが、とりあえず話を聞き、当たり障りのないアドバイスをしたりしながら、「また何かあったら電話してね」と締めくくりました。
その後、彼女から電話はありませんでした。
こちらからも、連絡をすることはしませんでした。
その後の彼女のことは気にはなっていたのですが、あえて首を突っ込むことは憚られたのです。
なぜなら、私が首を突っ込むことで何かのトラブルが起きた時に、責任を取れないと思ったからです。
問題が夫婦仲のことである以上私にどうにかできることはないし、私には精神疾患の知識もなく、こういうときに私の言った一言が彼女にどんな影響を与えるかもわからず、怖かったのです。
もちろん、彼女から私になんらかのアクションがあれば、それに対しては応えるつもりではいました。
話を聞いてもらうだけで、心が軽くなることもあるでしょう。
でも、逆に言えば、今の私にできるのは、その程度のことしかないと思いました。
後日、彼女と共通のママ友さんにも相談の電話がきており、そのママ友の方が突っ込んだ話をしていることを知りました。
私に電話をしてこなくても、彼女が一人ではないということに安堵しました。
彼女は、会う人会う人に自分の病気のことや、いろんなことを相談していたようなので、それも予想の範疇ではありましたが。
私は、人から悩みを打ち明けられたり、辛かったことなどを話してもらったりすると、いつも言葉に詰まります。
その人が、何を思って私に話してくれたのか。
私から、どんな言葉をかけて欲しいのか。
きっと、私を多少なりとも信頼して話してくれるのでしょうから、話してくれたことはとても嬉しいのです。
私でよければ、どんなことでも話して欲しいと思います。
でも、それに対する言葉が見つからないのが、歯がゆくて、虚しくて、自分を無力に感じます。
別に、何かうまいことを言おうと思ってるわけではありません。
ただ、相手が傷つかない言葉で、少しでも励ませたり、力になれるような言葉はないかと、いつも全力で探すのですが、口から出てくるのは、当たり障りのない言葉たちなのです。
そんな自分なので、何かに傷ついている相手に対して、自ら首を突っ込むことをどうしても躊躇してしまうのです。
でも、ある意味では、それでいいとも思っています。
私のキャパは狭すぎて、自分の身の回りのことだけで精一杯で、その人の人生に対する責任を取ることはできません。
だから、自ら首を突っ込むことはしません。できません。
でも、もしも、こんな私でも必要と思ってくれるなら。
助けて欲しいとSOSをくれるなら。
頼って欲しいとも思っています。
その時の自分に何ができるかはわからないけれど、自分のできる範囲で、全力で力になりたいと思っています。
リアルでも、ネットでも。
ただ、頷くことしかできないけれど。
うまい返しはできないけれど。
話を聞くくらいなら、私にでもできるから。
完食。 pic.twitter.com/eK2wkpTulh
— りょう (@ogataryo) 2014, 9月 20
↑ごちそうさまでした。