平服での葬儀とはいえ、葬儀場まで自転車で行くのは非常識?
どうなんだろ?
— りょう (@ogataryo) 2015, 3月 27
↑どうなのさ?こんばんは、りょうです。
ネットであれこれ調べてみましたが、いろんな意見はありますが、概ね別に問題はなさそうです。
駐輪場のある斎場も多いみたいですね。
ただ、喪服で参列する場合、喪服で自転車というのは、なんともミスマッチな印象を受けますが、どんなもんでしょうね?
冠婚葬祭のマナー。
大人になって、そこそこの年齢になると、結婚式もお葬式も増えてくるのですが、毎回マナーがわからずあたふたしてしまいます。
もういい加減、ぴっちり決めたオトナにならんと、と思うのですが、これがなかなか・・・。
特にお葬式なんかは、地域性や宗教なども関わってくるので、難しいですよね。
最近、他の方のブログで幾つか葬儀関係の記事を読みました。
私の中で、自分の死というのはまだ遠くにあって全然実感がわかないのですが、現実としては、もしかしたら明日死ぬ可能性もあるわけで、遺される家族もいる今、ちゃんと考えておかなければいけないなぁ、とも思います。
誰に連絡して欲しいとか、保険証券の場所だとか、その他もろもろ・・・。
もし私が死んだら、このブログの更新もTwitterの更新もプッツリと途絶えてしまうのだろうなぁ。
遺族に最後の更新をしてもらえるよう、遺言状(?)でも書いておくべきかしら?
実際、自分が読んでいるブログや、フォローしてるTwitterアカウントなんかも、ある日を境にプッツリと更新が途絶えるなんてことは良くあることで。
ブログやTwitterだけのつながりだと、それの更新が途絶えてしまえば、もう連絡のとりようもないわけで、果たして生きているのか死んでいるのか、確認する術もなく。
ただ、リアルでは、元気でいてくれたらいいなぁ、と、ぼんやり思うのみです。
もしも、死んでしまっていたとして、その現実を知りたいかと言われれば、それはすごく悩むところで。
なんとなく、生きている可能性を残しておいてもらった方が、希望がもてる気がしないでもないんだけど、どうなんだろう?
なんだか、着地点が見えなくなってきたので、今日はこの辺で終わろうと思います。
この手のことは、一度考え始めてしまうと頭の中がグルグルしてしまってダメですね。
多分、正解なんてないし、思った通りにはいかないものなんだろうな。
明日死んでもいいように、悔いのないように一日一日を生きよう、なんて言ってみたところで、少なくとも今の時点では、明日死んだら悔やむことだらけだなぁ。
とにかく、今はまだ、生きていたいです。
それでは。
職場の部署移動で、自分も卒園するような感傷に浸っている。
— りょう (@ogataryo) 2015, 3月 27
↑おセンチな気分。