人に何かを教えるということ
息子たちとキャッチボールin公園なう。
— りょう (@ogataryo) 2014, 8月 31
↑最近はキャッチボール禁止の公園も多いらしいな・・・。
こんばんは。
今日は、長男がどうしてもというので、近所の公園で野球をやりました。
お子ちゃま用の、フワフワのバットとボールを持って、旦那さんと次男と四人で。
ただ、残念なことに、長男には球技のセンスが今ひとつで(まぁ、親が付き合ってあげてなかったり、今迄野球に興味がなかったりで、才能以外の要因も多分にあるのですが)バットの振り方もボールを投げるのも取るのも今ひとつ。
私はベンチに座って、適当に次男の相手をしながら眺めてたのですが、まず、さっぱりバットに当たらない。
・・・っていうかさ、バットに当てる以前に、投げられてるボールが全然いいところにきてなくない?
ど素人の子供相手に、うまくバットに当てられるように投球するのって、かなりの技術力がいるのだな。
旦那さん本人の証言で、旦那さん自身も球技のセンスはサッパリだったらしいので、こりゃ無理だと。
で、そうそうにバットに当てるのは諦めて、キャッチボールにシフトしたんですが、投球一球目にして、ワンバウンドしたボールが長男の顔にヒットし、大泣き。
(ボールは柔らかいので、大して痛くはないはず)
なんとかかんとかなだめすかして、続きをやったのですが、ボールにビビって腰が引けるから、取れるわけがない。
全くもってキャッチボールにならず、最終的に旦那さんがサジを投げ、終了とあいなりました。
しかしまぁ、何も知らない子供に、野球のルールを教え込むのも大変ですが、実際にボールの投げ方、打ち方、取り方を教えるのも大変だなぁ、と。
まず、現在の長男ができるレベルを模索して、そこからステップアップしていかなきゃならないわけで、ど素人にはなかなか難易度が高い。
よく、公園でキャッチボールしてる親子がいるけど、あれば父親がすごいのか、子供がすごいのか、それとも両方なのか・・・。
旦那さんも、まさか、キャッチボール一つ満足にできないとは思わず、思い描いていた子供とのキャッチボールの光景とはあまりにも違うので、嫌になっちゃったのかなぁ・・・。
その前に、長男が自分のできなさっぷりにやる気を半ばなくしてたようにも見えたけど。
なんでもそうだけど、「できない方にレベルを合わせる」って、合わせる方のレベルがかなり高くないと難しいんだよね。
私なんかも、運動はサッパリなので、どうしたら長男のレベルに合わせて楽しくキャッチボールできるのかわからない。
もっと近い距離から、軽く投げるようにすればいいのかな?
相手が取りやすい位置に投げるのも、難しいんだよね・・・。
野球はもちろん、サッカーもできないし、私が人並みにできるのは、中学で少しやってたバドミントンくらいかなぁ・・・。
それも、当時もたいしてうまくなかったし、今やったらどうなるだろうか。
うーん。
長男が通う予定の小学校は、サッカーが盛んらしいので、長男が望むなら、そこで教えてもらうのがいいかな。
野球はイマイチ盛んじゃないらしいけど、どうなのかしら?
親としては、やはり男子たるもの、下手でもいいからなんかしらの運動はして欲しいと思ってるのだけど。
(体を動かす意味と、チームワークや礼儀作法、上下関係を学ぶ機会として)
運動させて、ハマって、休日に「練習付き合って!」とか言われても、とーちゃんかーちゃん役にたたなそうだな(苦笑)
まぁ、その頃には長男もレベルアップしてて、なんとかお互い合わせられるようにはなってるかな?
なってるといいな。
ちなみに、次男はというと、教えてもいないのに、ボールを投げるコントロールは良さそう。
まぁ、これも素人判断だから当てにならないけど(笑)
そういえば、長男は歌が好きなんだけど、どうも微妙に音痴っぽいんだよな。
今日も、音のなる絵本の曲に合わせて歌ってたんだけど、音がずれまくってた。
まだ小さいからこんなもんだよな、って思ってたけど、そろそろどうなの?
音感のいい子はちゃんと音合わせられる気がするんだけど・・・。
これも、ちゃんと教えてあげなきゃならないんだろうか。
私、どうやって歌うたえるようになったんだっけかな。
子供を育ててると
「え!?そこから教えなきゃならないの?!」
って戸惑うことが結構ある。
そっかー、そりゃそうか、って思うこともあるんだけど、自分が教えられた記憶がなかったりすると、どうやって教えたらいいものか、悩む。
言葉で説明できることならまだマシなんだけど、身体で覚える系のことで、自分が自然にできてた(と思ってる)ことだと、もうお手上げだ。
なんでわからないのか、わからない。
なんでできないのか、わからない。
教えることの難しさって、ここにあるんだろうな、って思う。
よく、基本が大事って言うけど、この基本も感性でなんとなくクリアできちゃう人と、一段一段登って行かなきゃいけない人といるんだよね。
そういえば昔、高校受験のときに、勉強の苦手な友人に理科の問題を教えていたとき、
私「だからさ、水は100℃で沸騰するじゃん」
友「なんで水は100℃で沸騰するの?」
と返され、返答に窮したことがある。
要領良く受験勉強をこなすのであれば、「水は100℃で沸騰する」という事実が重要なのであって、「なんで水は100℃で沸騰するのか」ということは、重要ではない。
そういうところがスンナリと受け入れられるかどうかでも、勉強の仕方が違ってくるのだろう。
本来なら、「なんで」って疑問に思う気持ちは大切なもので、それを一つ一つ埋めていけたら、すごい知識を得られるはずだ。
でも、「それはとりあえずいったん横に置いておいて」ができるかできないかで、勉強の進む速度は全然変わってくると思う。
結果的にどちらがいいか、ということは置いておいて、そういうことなのだと思う。
何を言ってるのかよくわからなくなってきたけど、結論としては
何かを教えるときには、その人のレベルに合わせてやることが必要
自分がある程度のレベルに達していること
毎月ノハナでアルバム作ってるんだけど、今月うっかり作り忘れてて、カツオ(もしくはまる子)の心境を味わってる。
— りょう (@ogataryo) 2014, 8月 31
↑これからやります・・・。