おはようございます。
長男の保育園に行きたくない病が・・・。
いろんな意味で、困ってしまいます。
何かのSOSなのかなぁ。
— りょう (@ogataryo) 2014, 9月 2
↑でも、行ったら行ったで楽しそうなので、そこまで深刻でもないのかな?
こんばんは、りょうです。
なんていうか。
今日はもっさりわけのわからない話をします。たぶん。
一つのことを議論する時に、前提条件って大事だと思うんですよね。
例えば、「野菜」について議論する時に、スイカやイチゴは野菜に入るのか否かって問題ですよ。
なんとなく、一般的なカテゴリわけで言えば、スイカやイチゴは果物みたいな気がしちゃうじゃないですか。
でも、実際の分類では、スイカやイチゴは野菜なわけで(ですよね?)
で、この辺の、「スイカやイチゴは野菜というのは常識」っていう人と「スイカやイチゴは果物じゃないの?」っていう人がその辺を曖昧にしたままで野菜のことを語り出すと、議論が深くなればなるほど、齟齬が出たりするんだと思うんですね。
なので、何かを議論する時に、「常識だから」と省略せずに、「前提条件」をしっかり提示することって、大事なことだと思うんです。
別に、理にかなってれば、「前提条件」が常識と多少ずれていたっていいんです。
「今回は、スイカやイチゴは野菜じゃないってことで」という前提が、議論する全員に伝わっていれば、それはそれでアリなわけです。
その議論に意味があるのかは、ケースバイケースだとは思いますが。
他人の知識や感覚って、自分が思っている以上にズレがあって、「こう思って当たり前」ってことはあり得ない。
「え?ソレとコレをいっしょくたにして論じちゃう?!」ってことが、往々にしてあるわけです。
ソレとコレは別もんじゃんよ〜って思ったところで、そういう人には通じないんですよね。
また、議論が白熱すればするほど、そういう「前提条件」に齟齬があっても、そこに気づきにくくなる。
ハタから見てれば気づくことでも、当事者同士は気づかなかったり。
また、議論の落ち着く先を操作するために、もしくは、議論の落ち着く先をうやむやにさせるために、あえて「前提条件」をズラして話す人もいたりしますよね。
あえてボケ倒す、みたいな。
そんなことを予防するためにも、何か議論を始める時には、「前提条件」をなるべく具体的に明示すべきなのではないかなぁ、と思いましたとさ。
いや、本当に。
「あ、ソレとコレいっしょに語っちゃうんだ」
ってことが、今日もあったので・・・。
まぁ、正論といえば正論なので、とりあえずは承諾しましたが・・・。
私からすると、ソレとコレは別問題なんだけどなぁ。
あぁ、これ、ついこの間もあったな・・・。
ホント、人それぞれいろんな考えを持ってるよね。
信頼してる上司であっても、そうした齟齬はうまれちゃうんだよね。
まぁ、言葉のアヤって面も多分にある気はしてるけど。
いかん、最後愚痴っぽくなってしまった。
ノドが痛くて、左目充血してて、口内炎できてて、なんだか弱ってる最中なので、お許しを。←早く寝ろよ!
明日は素敵な一日になりますように。
それでは。
論点がずれてる?
あえてずらしてる?
— りょう (@ogataryo) 2014, 9月 2
↑そんな人もいる。