今日の良かったこと

思いついたことを思いついたままに綴っていきます。タイトルに意味はありません。

体育の日

↑寒い。


こんばんは、りょうです。

いつの間にか、体育の日が10月10日じゃなくなっていた。
多分、体育の日が10月10日だったことに、何らかの意味があったのだと思うのだけど、気がついたら10月10日は体育の日ではなくなっていた。
最近、なんだかこういう休日が多い気がする。
本来の意味は?
とか、考えてしまったりする。
連休もいいけど、飛び石なのもよかったりするよね?

とはいえ、今日は10月10日の体育の日である。
何年ぶりのことかは知らないけれども、10月10日に体育の日が帰ってきた。
やっぱり、体育の日は10月10日じゃなきゃ。
なんてのは、やっぱり昭和生まれの古い考えなんだろうか。

体育の日の前後は運動会シーズンである。
春に運動会をやってしまう学校もあるけれど、我が子らの運動会はこの時期である。
長男も次男も、それぞれの成長を見せてくれて、いい運動会であった。

運動会といえば、組体操の是非が話題になっていたりする。
我が子らの保育園や小学校では、演目に組体操がある。
どうなることかとハラハラと見守っていたが、どちらも子どもたちに危険が及ぶような派手な演目はなく、ある程度*1安全で、見栄えがするように工夫されていた。
地味かもしれないけれども、子どもたちはイキイキとしていたし、こちらも安心して見ていられた。

正直、運動会に勝ち負けと関係ないダンスや表現などの演目がある意味が、私にはよくわからない。
子どもたちはその演目を通して何かを学ぶのだろうか?
かつて子どもだった私は、何かを学んだんだろうか?

見も蓋もないことを言ってしまえば、私自身は小学校の運動会のことをほとんど覚えていないのだ。
薄ぼんやりとした多少の記憶はあれど、そこに至る練習の日々や、自チームの勝ち負け、何かを成し遂げた達成感などは、さっぱり覚えていない。
申し訳ないことに、母が作ってくれたであろうお弁当も、全く覚えていない。

みんなは大人になって、運動会のことをどれくらい覚えているのだろうか?
運動が得意な子とか、逆にすごく嫌だった子は覚えていたりするのかな?

自分が覚えていないからと言って、運動会が無意味だと切り捨てる気持ちはない。
ただ、そこまでの思い入れもないので、子どもたちにはとりあえず怪我なく、楽しく、運動会を終えてくれればそれでいいと思っている。

当たり前のことだけど、運動会から何を感じるか、何を得るのか、得ないのかはその子それぞれなので、周りの大人たちが「あれをしなきゃ」「これをしなきゃ」って盛り上がる必要も「あれは危険」「これも危険」「こんなの悪影響」って糾弾する必要もないんじゃないかなぁ、などと思ったりする。
重要なのは、子どもたちが安全に過ごせるか。
そこで、できるだけ多くの子どもたちが、満足感や充実感、達成感などを感じられるような会になれば、万々歳だけど。
運動嫌いな子もいるからね。
全員にそれを味わわせるのは、やっぱり無理ってもんなんだろうなぁ。

とにもかくにも、今年も無事に運動会が終わってよかった。
無事じゃないのは私の腰くらいなもので、子どもたちは楽しかったようだし、何よりでした。
来年はどんな運動会になるのか。
とりあえず、来年はお天気に恵まれるといいなぁ。


それでは。

↑失礼ながら、見事だった。

*1:転んだりなどの多少の怪我の可能性はどの演目でも必ずある。